「〇〇であるべき」は言うべきではない
こんにちは!office SEDA のヒロユキです。
今日はビジネスシーンでよく使われる「〇〇であるべき」という表現をテーマにお届けしたいと思います。
ビジネスシーンだけでなく、日々の生活でも使われるこの表現について、多くの方にそれなりの気づきをお届けできたら幸いです。
それでは今日もゆる~くいきましょう。
なぜ「べき」を多用するのか?
ビジネスシーンでは生産性をあげるため、組織の方向性を示すうえで「〇〇であるべき」。いわゆる正論のような主張により、意思決定がされるシーンはよくあるのではないでしょうか?
当然、組織における意思決定は重要なことであり、「○○であるべき」は責任者・マネジメント層には広く浸透された表現だと思います。
特に大企業など多くの社員を抱える企業にとって「あるべき姿」を掲げて組織をまとめることは方向性を示し、業務効率を追求する術としてよくやりますね。
今日はあえてそんな便利な「べき」が持つ負の側面をお伝えしたいと思います。
「べき」のもつ負の側面
「〇〇であるべき」はその言葉の特性上、組織の中でも立場の強い人が使用することが多いかと思いますが、実はこの「べき」=should はかなり強い言葉であり、疑問や反対を許さない命令に近い感覚を受け手側にあたえています。
「〇〇であるべき」と言う際は、その根拠が明確にあり、様々な理論(理屈)から導き出した答えなので、疑問や反対などは感じないのでは?
そう感じる方はぜひ自分の思考で幾つか、「〇〇であるべき」という意見を挙げてみて下さい。
そして、それらの意見をぜひ冷静に俯瞰してみて下さい。難しく感じる方は挙げた「〇〇であるべき」とは逆の「〇〇であるべきではない」という意見に対する理由を考えてみても良いです。
如何でしょうか?
いくつかの「べき」は今の自分の立場や経験、環境から来る意見であり自らの価値観や主観からくる意見だと感じませんか?
つまり、自らの価値観に近い人が多ければ共感を生むかもしれませんが価値観が違う人においては何も感じないものになるということです。
特に機能別に細分化された組織の中では誰もが納得する絶対的な「べき」は無いということです。
「べき」を使わない表現
ではどうすれば「べき」を使わずに組織において同じベクトルを向かせるのか?
それはこうしたいという思い(want)、意義(papas)と自らの行動(move)で表現し伝えることです。
具体的な事例をひとつ紹介したいと思います。
2つの伝え方を見比べてみてください。
どちらも良いサービスを提供しょうと社内に働きかけることを意図する言葉ですよね。
どちら言葉に人は共感するか?
または社員を巻き込むことができるでしょうか?
おそらく後者ですよね。
最後に、
本日お伝えしたかったことは「べき」と言う表現がいけないということではなく、便利な言葉なだけに多様するマネージャーが多くいることに対する警鐘とビジネスを共創する時代にはマッチしないのではないかということです。
私個人の意見は「べきべき言うべきではない」という結論です。
今日も最後まで読んでくれてありがとうございました。
office SEDA